恋愛結婚か見合い結婚か?

国立社会保障人口問題研究所の調べでは、現在の見合い結婚の比率は5.5%。戦前7割を超えていたのが、60年代後半に逆転し今はほとんどが恋愛結婚のようだ。

 

歴史的にみると、どの国でも古くは見合い結婚がほとんどでようだ。お隣の韓国では、同じ氏族の中では結婚は許されなかったようで、つまり同じ苗字の人とははなから結婚できない訳だ。同じ苗字と言っても、韓国で苗字は極端に少ないし、昔は同じ地域に住む人はほとんど同じ苗字だったようなので、同じ地域に住む人とは結婚できない、ということだった。同じ地域に住むひと同士で結婚できないので、当然遠隔地に住む違う氏族の親同士が話し合って結婚を決めていて当然見合い結婚だった。これは、結婚とは、違う地域に住む氏族同士が血縁になって平和への一助となる社会行為であったと換言できる。日本でもテレビ時代劇をみると、武家の婚礼は家と家が縁を結ぶためのもので、つまり見合い(政略)結婚がほとんどだと思われる。

 

韓国の新興キリスト教である、世界統一協会は国際政略結婚とも言える、教祖が決めた相手と国際結婚するというルールで世界平和や社会平和を実現することを旨としているが、韓国伝統の考え方に基づいているのではないか。

 

ではさらに古く遡って農耕が始まる前の狩猟時代はどうだったを考えてみると、少し前までは原始乱婚という、出会い頭に生殖を行うような社会であったと思われていたが、最近の研究ではどうもそうではなさそうで、むしろ今より厳格なルールがあったことが最近の定説だ。

 

民族学者で哲学者のレヴィストロースは狩猟時代の社会システムが残るブラジル奥地に住む先住民族のインディオ社会に潜入し、そこでの結婚に関するしきたりを研究した。この研究は後に世界的にもっとも影響力を持つ思想である「構造主義」の契機になる。この時の経験を書いた彼の著作「悲しき熱帯」は世界的ベストセラーになった。

 

レヴィストロースは見合い結婚(=政略結婚≒親族の成り立ち)を研究することによって、その社会の構図を明かにした。結論から先に言えば、「女性は部族間の贈り物であった」とストロースは発見した。(これは歴史社会学の結論で、女性蔑視ではありません)。こう考えるとそれまで説明がつかなかった世界的に見られる同じ氏族内での結婚忌諱(広い意味でのインセント(近親婚)タブー)が全て説明がついた。(くわしく知りたい人は、橋爪大三郎の「初めての構造主義」や小田亮の「レヴィストロース入門」を読んでください。)

 

さて、「見合い結婚」が部族間の平和の礎であったことを考えると、現代に於いては、同じ国内での諍いは司法や行政の力で抑えられているので、必要なく憲法にあるように本人どうしの合意で結婚できるということになって、94.5%が恋愛結婚という時代が来たよだ。

 

しかし、この恋愛結婚であるが、厳密な意味で恋愛結婚と言えるのだろうか?憲法では本人どうしの合意で結婚できるとあるが、恋愛結婚で結婚できるとは書いていない。本人どうしの見合い結婚という事は一見内容に見えるが、見合い結婚を政略結婚と読み替えると、本人どうしの政略結婚というのは案外多いような気がする。

 

最近デヴィ夫人の著作を立ち読みしたが、その本に「年収に二億でそんなに惹かれない男と年収200万円で惹かれる男をどちらと結婚すべきか」という章があった。女性の皆さん、あなたはどちら?

 

現代でも女性が贈り物だとすれば、現代における見合い(=政略≒打算)結婚を選ぶ人は、自分という贈り物を誰に送るか、ということになる。デヴィ夫人は年収に二億の男と結婚せよ、といっている。何しろ自分がインドネシア大統領の第三夫人になったひとだものね。

 

ジェンダーとしてのメスは、より多くの自分の遺伝子を残す戦略として、なるべく質のよい遺伝子を残すという遺伝子選択の戦略と、出産後に安全に育児できるかという安全性確保の戦略とのバランスでオスを選んでいる。オスは単純なもので、より多くのメスに自分の遺伝子を残すのが戦略である。

 

人間の例を考えると、女性は一年に一回しか妊娠出来ず、さらに出産しても15年以上育児に費やさなければならないので、大変なリスクを負っている。出産後の安全性確保ゆういの種と言える。

 

さて、見合い結婚と恋愛結婚に話を戻すと、自分自身を贈り物として政略的に結婚するつまり、よく言われる高学歴、高収入の男性と結婚するのは一種の政略結婚(=見合い結婚)とくくり、純粋に惚れた男と結婚するのを恋愛結婚と定義し直せば、世の8割くらいが見合い結婚といえるのではないか?

 

さて、あなたはどちら?

 

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人間は幸福を手にすることが出来るのか?

最大多数の最大幸福という言葉がある。一人でも多くの人に少しでも多くの幸福をもたらす政治が良いという考え方だ。この考え方の裏には「幸福を追い求めるのは良い」という世間常識がある。

 

最近「幸福は追い求めるべきものなのか?」と疑問を持つようになった。幸福とは考えてみると、生か死か、とか奇数か偶数かようなゼロイチの問題ではなく、「幸福度」という言葉に度がつくことから解るように、温度や高度と同じように程度問題である。温度はどこからが冷たいのかどこからが熱いのかは人によって違うし、高度もどこからが高いのかは相対的だ。同じようにどこからが幸福なのか、どこからが不幸なのかは人によっても状況によっても違うし、この線引きは難しい。

 

程度問題なので幸福を求めはじめると、もっともっととなる。お金ももっと欲しいし、もっと良い家族が欲しいし、もっと広い家に住みたいし、もっと社会貢献もしたい、もっと認められたいとなる。

 

このようなことをすべて手に入れたであろう大富豪のロックフェラーは、晩年癌になり「もし癌直してくれる医者がいたら自分の財産の半分を寄進する」と言いながら死んでいった。

すべてを手に入れても、永遠の命が欲しい、年は取りたくない、病気も嫌である、となる。

 

筆者は若いころ神経質という病に苦しんだが、これは完璧な幸福を希求し、日常生活で身動きが出来なる病である。例えば少しでも幸福を得ようと、ジンクスや迷信が頭から離れなくなり、死を思わせる数字の4や苦労を思わせる数字の9を避けるあまり、本を読めなくなったり、外出できなくなったりした。体のどこかに違和感があると、癌ではないかと気に病み、必要もないレントゲン検査を繰り返し受けたりした。

 

宗教は人間が生まれながらにして持つ「幸福の欠如感」をいろいろな角度からアプローチする。シタールダ(釈迦)は、人間は「生病老死」と生まれながらに苦しい宿命を持っているので、瞑想に励み、このような苦しみが気にならない脳を得て、苦しい輪廻の輪(生まれ変わり)から抜出ることが出来るとした。イエスは、神を信じてよい行いに励むと最後の審判の時に生き返って天国に行ける。しかしこれは考えてみると、釈迦もキリストもこの世では幸せになれないと教えているようなものだ。

 

人類に多大な恩恵を与えた世界宗教が「真の幸せはこの世ではあきらめよ」と言っているのに世間では「幸福を追求するのは良い事だ」と思っていることになる。

 

疑問を一つ。これらの宗教を信じた人々は「所詮この世では不幸だ」と厭世主義になってもよさそうなものだが、実はそうではなかった。例えばアメリカの基礎を作ったピューリタンと呼ばれたキリスト教徒達は、「自分たちは神に選ばれて死後天国に行けることが約束されているのだから、神の期待に応えて、勤勉に働かなければならない」として、一所懸命働き世界をリードする国を作った。仏教徒たちも悟りを目指し、善い行いに励んだ。インド建国の父ガンディも現首相のモティ首相も敬虔なヒンズー教徒だ。

 

敬虔なキリスト教徒達、仏教徒たち、イスラム教徒たちは多分、現世での幸福を追い求めるのとはべつの動機で、現世で一所懸命生きてきたに違いない。この一所懸命が実はミソで、懸命に生きると、高尚な悩みを思い煩っている暇が無い。世の宗教は信者に忙しい日常を求める。あわただしい毎日を送っているうちに、気が付いたら死んでいた、という人生を送ることが出来る。最近、筆者はこれが幸福な人生ではないかと思っている。

 

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谷田の婆さんは不幸だったのか?

父は昔、90歳を超えてかも、毎日忙しくしていた。ゴミ出し、洗濯に始まり、掃除は徹底していて、近所の人に掃除を推奨して煙たがられている。年を考えて少し休めばいいのにと思ったものだ。

 

その父がよく、昔話をした。これが結構おもしろかった。ある時、「谷田さんの婆さんは苦労した」という話を聞いた。谷田さんの婆さんは、親父の母方の叔母さんだ。私からみれば、祖母の妹で大叔母。この人のことはよく覚えているが、祖母によく似ていて、祖母が死んだ後も、この人を見るたび祖母を思い出し懐かしい感じがした。

 

谷田の婆さんは、乳母日傘で育てられたいいところのお嬢さんだった。兼業農家で食堂も営む谷田さんのところに30半ばを超え嫁いだ。谷田の婆さんの夫、谷田の爺さんは谷田の婆さんと結構する前、婆さんの姉と結構していて死別した。つまり谷田の爺さんは先妻の妹と結婚したわけだ。

 

姑はかなり厳しい人だったそうで、谷田の婆さんは嫁時代に完成度の高い家事を仕込まれ、四六時中姑に叱られていたそうだ。谷田の爺さんは食堂を経営していたので、畑は婆さんが一人で切り盛りし、同時に血筋で見ると自分の甥たちを息子として育てた。厳しい人生だったに違いない。

 

苦労はしたのだろうが私が覚えている谷田の婆さんは、文字通り婆さんでその顔はいつも穏やかで微笑んでいた。

 

ゴータマシ―タールダ(釈迦)は、王子だった。父親の王は何不自由ない生活をさせていたと伝えられている。何でも欲しいものは手に入り、おいしい食事、美しい妻と可愛い息子に恵まれ、上げ膳据え膳であったに違いない。

 

筆者も釈迦とは比べようもないが、両親のおかげで子供の頃は何不自由ない生活を送った。青春期も欲しいものはなんでも手に入り、日常の不自由は全くなかった。日常に悩みがなくなると人間悩みを探すもので、当時、人間は死んだらどうなるのか?とか、病気になるのではないか?とか、人に危害を加えてしまうのではないかとか、そのうち、手を洗わないと汚いのではないかと2時間も3時間も手を洗ったり、風呂に一日5回も6回も入ったりして、どうにもこうにもにも、身動きが取れなくなり、都立松沢病院の精神科に行ったら、脅迫神経症と診断され、森田療法がいいと勧められ、鈴木知準先生を紹介され治療をうけることになった。

 

治療は主に農作業、炊事、洗濯、風呂焚き、買い物など雑用を徹底的にしかも完成度高くやらされる。ミスをすると先生に叱られるので、必死に薔薇や朝顔の世話をしたり、集中して薪木で風呂をたいたりした。あとで知ったが、禅寺でも作務といって同じようなことをするらしい。

 

入院して1か月ほどすると、日常の忙しさに集中している自分がいて、高尚な悩みはどこかへ飛んで行ってしまった。それどころか、畑仕事や炊事を懸命にしていると、カタルシスさえ感じた。

 

日常に不自由なく、悩んでいたときの自分は出家まえの釈迦に相通じるところがあり、入院中の自分は不自由ない暮らしを捨てて修行に励んだ釈迦に似ている。そして、はっと気づいたのは入院生活は谷田の婆さんの暮らしに似ていた。

 

やることが無いというのはつらい。哲学者のカントの寝室の天井には「ここで考え事をするべからず」と大きく書いてあったどうだ。彼は、寝室での退屈をおそれ、朝布団に長居せず早朝に飛び起き、散歩にでかけ、一日中にひっきりなしに歩き回っていた。イギリスの思想家B・ラッセルは、「仕事のについて」という随筆の中で、「仕事から得られる最も大きな恩恵は、時間を潰せることである」と述べている。東洋でも中国古典、四書五教の一つ「大学」には、「小人閑居して、不善をなす」とある。「凡人、暇をしているとろくなことをしない」という意味である。

確か柳葉敏郎と石野真子主演の近未来SFドラマがであったと思うが、核戦争後の世界が舞台。生き残った人は放射能のまん延する廃墟に囲まれ、外出もままならず、時間を持て余しながら保存食を食べている。

 

そんな中自分の財産の半分を支払ってリアルで幸福な夢を見させるというサービスがあり、主人公の柳葉敏郎はサービスを受けることにして、その会社の部屋で注射を打たれる。そして、目を開けると石野真子扮する妻がいて、何やら慌てている。娘が肺炎で死にそうだとの事。深夜に必死に車を飛ばして病院を駆けまわるがどこも受け入れてくれない。やっとの思いで娘を入院させて、朝になると、家に借金取りが押し寄せてくる。経営している会社が倒産寸前なのだ。そうこうしているうちに自分が癌になって5年生存率は50%と言われる。癌を抱えながら会社立て直しの為に銀行をはいずり回り、借金を無心するが断られ続けたところで目が覚める。

 

核戦争後の現実の世界に戻った主人公はひとこと、「とても幸せな夢でした。」見ていて納得してしまった。谷田の婆さんもさぞ幸せだったに違いない。親父が齢90歳にして毎日忙しくしている理由がわかった。

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パンドラの箱

ベストセラーの自己啓発書「スタンフォードの自分を変える教室」ケリー・マクゴニコル著 原題「Will Power」は意志力に関する本だ。その中に面白い話が出てくる。実験用ラットの脳で快感を感じる部位に電極をつなぐ。レバーを押すとネズミは自分で電流を流すことができる。レバーの足元には熱いシートが強いてあって長居すると足を火傷する仕組みになっている。実験の結果、ネズミは足が焦げてもレバーを押し続けた。

 

同じ実験を人間にも行った。発作性睡眠障害の患者で突然眠りだす患者に電極をつけて眠らないようにする実験だ。この患者はスイッチを押して、自己刺激を与えたときのことを「 頻繁に、そして時には狂ったようにボタンを押した」にもかかわらず、「もう少しで満足感が得られそうな気がした」が、「とうとう最後まで満足感はえられたかった」そうだ。自己刺激を与えても焦るばかりで少しも楽しくはなかったのだ。この人の行動は快感を覚えているというよりは何かに突き動かされているようであったとのこと。

 

その後よくよく調べると、その脳の部位は実は快感や幸福を感じる部分ではなく、快感や幸福を予感させる部位であった。ラットの実験でも刺激を与えた脳の部位は報酬系と呼ばれる場所で、多分ラットは「もう一度やれ、今度こそ気持ちよくなるぞ」とレバーを押し続けていたに違いない。

 

表題のパンドラの箱のパンはギリシャ語で全部の意味でパンドラは「全ての贈り物」という意味だ。お話は、プロメテウスが天界から火を盗んで、人類に与えた事を怒ったゼウスは、すべての災いが詰まったと箱と共に人類で初めての女性であるパンドラをプロメテウスの弟エピメーテウスに送った。プロメテウスはゼウスからの贈り物は受け取るなと言ったが、美しいパンドラを見たエピメーテウスはパンドラを結婚する。パンドラは箱を持たされた時に開けてはいけないと言われていたが、好奇心に負けて、開いてしまう。そうするとあらゆる災いが人類に飛び出てきて、人間は苦しむことになったが、最後にエピルス(希望、期待)が出てくる。寓話のメッセージは「災に満ちりつのが人生だが、幸福への期待があるから生きていける」と言うことらしい。

 

この話はラットの実験と相通じるものがある。仮に、災いで満ちた人生をラットの熱シートと、幸福への期待は電極レバーだと置き換えれば、人生とは幸福への期待があるから足が焦げながらも生きていく、つまり「もう少し生きて居よう。今までつらい人生だったが、きっといつか幸せになれる」という希望をのみをたよりに生きていくに事なる。虚無的で悲しい考え方かもしれないが、内心同感する人も少なくないのではないだろうか。

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日本にキリスト教徒が少ないのはなぜか?

最近歳をとって来たせいか宗教に興味がでてきていろいろ勉強を始めた。とは言ってもいろいろな宗教をネットで検索したり、本を読んだり、宗教に詳しい友人の話を聞いたりしている程度でたいしたことはない。そんな中最近、疑問が出てきた。

熱心に信仰しているとは言い難い人が多いとは思うが、日本には仏教徒が多い。平成29年度版「文化庁宗教年鑑」を見ると仏教徒の数は8770万2069人で人口の48.1%%とある。次が神道で8473万9669人、人口の46.5%。キリスト教はというと日本では人口のわずか1%でこれは世界的に異例だ。例えば世界全体を見るとキリスト教はまさに世界宗教で、世界人口の33%と言れているし、先進国では日本以外は全てキリスト教国だ

では、なぜ日本ではキリスト教徒が少ないのであろうか?確かに、秀吉に始まり、徳川幕府もキリスト教を弾圧して来たが、これが原因とも言い難い。例えば韓国では近代になってキリスト教徒は増え、今では人口の30%にのぼるし、共産主義国の中国でさえ人口の10%だ。日本では明治維新後、信仰の自由の時代になってもキリスト教徒増えてはいない。何故なのだろうか?

話は仏教に飛ぶ。アショカ王の時代に一世を風靡した仏教が発祥の地でインドでは廃れてしまった。諸説あるようだが、もともとインドではバラモン教も仏教もインテリ層にしか理解されておらず、大衆は(特に南部は)土着宗教を信じていた。バラモン教は腐敗などで支持を失いそうになり、自変容革しながら土着宗教を取り入れるなど大衆化(分かりやすい)路線を歩みはじめて、ヒンドゥー教としてにインド全土に定着した。

王族やその支持層にのみ信仰されていた仏教は、イスラム教が入ってきて、庇護者であったインドの支配階級が駆逐されると支持基盤を失なった。結果インドでは、民衆に根を下ろしていたヒンドゥー教と新しい支配者の宗教でしかも分かりやすいイスラム教が残った。

何故仏教が日本や南アジアなどで信仰されているかといえば、それはインテリ向けの原始仏教が難解だということで、誰にでもわかる大乗仏教や密教がインドで生まれ、インドでの布教に苦戦した僧侶たちが海を渡って、他宗教に席巻されていない地域に伝えた。大衆仏教が広まった国では、イスラム教やキリスト教、ヒンドゥーが未到来の地域であった。

ここで宗教伝播のキーワードが出てきた。「分かりやすさ」と「先行者有利」ということだ。

冒頭の疑問に戻ると、日本にキリスト教が伝来したのは歴史の教科書に書いてある、1549年フランシスコザビエルによるもので、かなり遅い。日本で檀家が最も多い、浄土真宗の開祖、親鸞が生まれたのが1173年。

同じ時期のアメリカ大陸。コロンブスがアメリカ大陸にたどり着いたのが1494年。北米、南米でキリスト教が一気に広まったのは先行する大衆宗教がなかったせいに思える。

ところで、日本の最大宗門、浄土真宗の教えは「念仏を唱えると、誰もが極楽浄土に行き、成仏できる」と教える。ウーム、一見、どこかで聞き覚えがある。これは「神を信じると、天国に行って永遠の生命をもらって幸せに暮らせる」というキリスト教の教えに似ている。

釈迦の時代の仏教は多分、世間の叱責を恐れずに言うと「瞑想をすると煩悩を追いかけなくて済む様な脳になり(解脱する)、生病老死が気にならなくなるし、もう生まれ変わらずに済む(輪廻のサイクルから解放される)」というものであったと私は思う。これは天国に行くとか永遠の生命などとはほど遠い。いや、もともとの仏教が目指した解脱というのは天国にも生まれ変わらないというものなので、真逆だ。

元来親鸞は「念仏を唱えると、来世は現世のパラレルワールドである極楽浄土という地球に転生し、そこに生まれさえすれば阿弥陀如来がいて全ての人を解脱させる、つまり生まれ変わらずに済むようにしてくれる。」ということで解脱という目標を目指していた点は原子仏教と共通点があったと想像するが、これはまだわかりにくく、当時親鸞の教えを聞いた大多数の人は多分、キリスト教のようなわかりやすい「念仏を唱えると、天国に行って何不自由ない生活を送れる」を、現代風に言えは「酒はうまいしねーちゃんは綺麗なところでのんきに暮らせる」イメージしたのではないかと思う。

話が遠回りになったが、まとめると「先行者有利」と「分かりやすさ」を宗教の伝播力と呼応している考えると日本のキリスト教は、伝来したときはすでに、キリスト教と似ていてしかも分かりやすい、浄土真宗などが広まっていて、キリスト教にはチャンスがなかったのではないかというのが推察である。

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ソシュール理論による外国語学習法

英語が全く駄目だった筆者が言語学者であるソシュールにヒントを得て生み出した2年でTOEIC900点をめざせる全く新しいアプローチの外国語取得方法を紹介します。

髪林孝司プロフィール

髪林孝司

髪林孝司:
システム経営コンサルタント
職歴:
株式会社リクルート
(住宅情報事業部)
株式会社テレビ東京
(経理部、営業部、国際営業部、編成部、マーケティング部、イ ンターネット部などを歴任)

2001年
テレビ東京ブロードバンド企画設立
代表取締役社長就任
(主要株主;テレビ東 京、NTT東日本、シャープ、NECインターチャネル、集英社、角川ホールディングス、 小学館プロダクション、DoCoMoドットコム、ボーダフォン)

2005年
同社東証マザーズ上場

2006年
インターエフエム買収
代表取締役社長就任(兼任)
11年連続赤字累損22億の会 社を1年で4000万弱の黒字会社にターンアラウンド

2008年6月
テレビ東京ブロードバンド取締役退任

趣味:
ロードバイク
中華料理(家族の食事は私が作っています)
タブラ(インドの打楽器)