ソシュール理論による外国語取得法

類語辞典

文章を書くのが好きで、ブログに雑文を書いている。少しでもましな言葉を選んで書きたいと思い、パソコンに向かって文書を書き始めたら、類語辞典も開く事にしている。ある意味をふさわしいニュアンスを伝えるのには、どの表現を使うのが良いか選べる。ただたまに、どうしてぴったりすることばが見つからないことがある。

筆者は北海道で育った。比較的標準語に近いのが北海道弁と思っていたのだが、今年の流行語大賞、カーリング女子の「そだねー」が、方言であったとはテレビの生中継の時には気が付かなかった。地元の言葉は自然に聞こえる。北海道弁に「あずましい」という表現がある。標準語で言えば、「心地よい」とか「快適である」の意だが、少しニュアンスが違う。類語辞典で標準語に近い表現があるかを調べて見たが、どうもそれに近い表現が見つからない。標準語には「あずましい」にあたる表現が無いと思った。実は英語には同じニュアンスの言葉がある。Confortable がどんぴしゃり。

言語学者のソシュールは「ある言葉の意味は、その言葉に類似した、つまり類語辞典で同じところに列挙される似通った意味の言葉たちとの境界線で、その関連性において自律的に定義される」と講義している。わかりやすいたとえ話として、升のなかに無数の風船が膨らんでいるイメージが近い。升はある国の言語体系全体の器で、それぞれの風船は個別の単語。ある単語つまりある風船の意味は、隣接する他の風船との境界線で、切り取られるように、定義されている、ということだ。

さて、日本語の標準語には、「あずましい」、英語でいえばConfortableに当たる言葉が無い。その場合どうなるのか。ある国の言語体系の中に、ある区分けが欠落していると思われる場合、その部分は、隣接の言葉に吸収されてしまうのが言葉の宿命なようだ。例えば、英語にfigure outという表現がある。英和辞典を引くと、「理解する」とあるが、ニュアンスは少し違う。figureとは数字を理解するというのが元の意味で、outを付けることにより、算術的に根本から合点する、というニュアンスである。これも日本語には似た表現が無い。英和辞典では「理解する」とか、「解る」という訳になっている。つまり「理解する」という日本語に英語のfigure outの意味が吸収されてしまっている。

カナダのイヌイットには、「狼」という言葉が無い。彼らは、隣接の「犬」という言葉にこの意味が吸収されている。重要なのは、エスキモーの人達の認識の中に、狼というものが存在していないという事だ。彼らに取って、犬と狼は同じ存在で、これは日本人などが思い描く狼とは違う。

この事を考えると、日本語の得意技である、カタカタ標記の外来語は、日本語になった瞬間に、周辺類似単語との境界で意味が定義されることになるので、オリジナルの言語の意味とは別物になる。これが外国語の習得の障害になっている。

では、例を一つ。カタカナの外来語「コンプレックス」は日本語としては劣等感と同義であるが、さて、英語圏ではどういう意味でしょうか?

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勇気の壁

meat思考の壁と呼び変えても良いかもしれませんね。例えば、男性でも上半身裸で銀座の街を平日に歩く事に少し抵抗があひとが大多数と思います。でも夏のビーチなら問題ない。会社で男同士で会議室で裸になるのは恥ずかしいけど、ゴルフの後に一緒に風呂に入るには何の抵抗もない。

やっていることは物理的に同じなのに、違った感情を抱くのは習慣とか文化がして良いこと悪いことを強力に強力に教え込んでいるからです。

女性をナンパするのもこれに似ている。以外に好みだな、と思っても声をかけられない人が大多数と思います。その人が運命の人かも知れなく、貴方の事を好きかも知れないのに。ちなみに私は平気で街行く人に声をかけることが出来ます。(恋人をゲットする目的で声をかけたことははありませんが)目的が相手の為なら声をかける気恥ずかしさを乗り越えられるのです。

一昨日JR総武線に真面目そうな女子高生がつり革の前にいました。結構かわいく英語の単語帳で日本語訳のところに緑色のラインマーカーを引いて赤い下敷きで黒く隠しかんきしていました。

私はこのブログでソシュール理論による言語習得法に関して詳説していますが、彼女の英語の勉強の仕方は効率が悪く、このままでは一生英語が好きにならないし使える様にならないかも知れないと思い、思い切って声をかけました。

最初、変なおじさんに声をかけられた彼女は戸惑いを隠せませんでしたが、「英語の勉強法についてアドバイスがあるのですが、お話ししてもいいですか?」と笑顔で話しかけたところ、かすかにうなずいたので説明をはじめました。彼女はMの欄を見ていてMEATとかMEETとかが並んでいました。

英語を見て日本語の訳を思い出すのはむしろ英語の能力を下げることになるので、出来れば日本語も消して思い出すのは日本語ではなく、MEATなら挽肉などの肉の映像、臭い、味など、MEATなら久々の友人と空港で待ち合わせして、出会ったときのシーンなどでその時の懐かしい気持ちとか空港の雑音などを思い出すと良いよといいました。

彼女は目を輝かせ始め、大きくうなずき、よく分かりました。本当に有り難う御座いますと、軽く礼をしてくれました。

彼女の英語の成績があがり大学に入学し、いろいろな事を学ぶうちに英語だけではなく全ての勉強は5感を総動員してその概念を鷲摑みにして口から食堂を通じて胃に超に、肝臓で貯めて血に載せて全身を巡らせて、自分のものになって行くんだと気づいてくれる感じがしています。

一昨日は、お節介でしたが、少しだけ良いことをしました。

でも、でも、でも問題の本質はここではありません。良いことなのに、中年男性が女子高生に声をかけると、援助交際など社会的タブーを思い出し思いとどまる人が多いであろうと言う事です。実は私もその壁に当たりましたが、乗り越えました。

そうぞうせいとは、そのようなタブー、あくまで善の為のタブーを打ち砕く事にあります。ここにくすぶっている火があるとします。火事を防ぐのに公衆の面前で臆面もなく達小便、女性はしゃがんで火を消すことができるか?

これが出来る人が、既成概念にとらわれずに真の創造性を発揮出来る人なのです。

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バイリンガルとは何か?

TOEIC900点以上の人でも日本語で言う「光合成」を英語でどう言うか知らない。英語圏の人ならphotosynthesisという言葉は中学生高学年か高校生なら皆知っている。

バイリンガルと言われる人、例えば日本のアメリカンスクールに行って、アメリカの大学を出たが、両親が日本人なので日本語もぺらぺら発音も完璧。でも、日本語で「光合成」と言えない。「峻別する」という日本語を知らない。

バイリンガルになるには、少なくとも中学生から高校生の英、国、数、理、社をマスターし、出来れば大学で学ぶ経済学や物理学などを、両方の言語で憶えなければならない。つまり6.3.3.4年を二回やることになる。でも人生は決して長くない

私は、バイリンガルをおすすめしない。オリンピックで銅メダルを取れる実力があるのに金メダルを取ろうとして、30才を越えても練習し続け結局オリンピックに出ない人に似ている。

それでもバイリンガルに成りたい人は下記をどうぞ。

high

日本人用

math

アメリカ人用

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バイリンガルの危険な罠「インターナショナルスクール」

ジョージオーゥエルの小説1984には、一握りのエリートが大多数の人間を支配するために、ニュースピークという言語を教育し思考能力を奪っていくという話が書かれています。きっとオーゥエルは言語と思考の密接な関連性を知っていたのでしょう。以下にニュースピークについて述べます。

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ニュースピーク (Newspeak、 新語法)は、思考の単純化と思想犯罪の予防を目的として、英語を簡素化して成立した新語法である。語彙の量を少なくし、政治的・思想的な意味を持たないようにと修正され、この言語が普及した暁には反政府的な思想を書き表す方法が存在しなくなる。

付録として作者によるニュースピークの詳細な解説が載っている。 これによるとニュースピークにはA群B群C群に分けられた語彙が存在し、A群には主に日常生活に必要な名詞や動詞が含まれ、その意味は単純なものに限定され文学や政治談議には使用しにくいもののみがイングソックによる廃棄をまぬがれる。B群には政治に使用される用語が含まれ少なからずイデオロギーを含んだ 合成語が含まれる(例: goodthink(正統性)、crimethink(思想犯罪))。C群にはほかの語群の不足を補うための科学技術に 関する専門用語が含まれる。

またニュースピークは現代英語を必要最小限にまで簡略化することを目指しており、現在では別々の言葉が似たような意味を持つという理由で統合され名 詞や動詞の区別も接尾語により変化する。たとえばthought(思想[名詞])はニュースピークの文法では think(考える[動詞])で代用でき、speed(速 さ[名詞])に形容詞をあらわす -ful や副詞をあらわす -wise を加えることでそれぞれの品詞に自在に変化する。bad をあらわすには good に否定の接頭語 un- をつけた ungood でこと足り、強意表現はplus-, doubleplus- といった接頭語をつけることで表現される。また、Minipax などのように略語を 極端に採用しているが、これによって本来の語源を考えることなくまったく自動的に単語を話すことができる(これにはかつてソ連が「コミンテルン」などのような略語を多用したことの影響がある)。

新語法(ニュースピーク)辞典が改定されるたびに語彙は減るとされている。それにあわせシェークスピアなどの過去の文学作品も書き改められる作業が進められている。改訂の過程で、全て の作品は政府によって都合よく書き換えられ、原形を失う。free の意味も「free from ~」(~がない)の意味しか残らず「政治的自由」「個人的自由」の意味は消滅しているなど変化しており、原文の意味を保って自由や平等を謳う政治宣言など をニュースピークに翻訳することは不可能になる。

なお、ニュースピークという言葉自体が既にニュースピークである。本来、speak という単語に名詞としての用法は無い。

ダブルシンク

ダブルシンク(doublethink、二重思考)は、1人の人間が矛盾した2つの信念を同時に持ち、同時に受け入れることができるという、 オセアニア国民に要求される思考能力である。現実認識を自己規制により操作された状態でもある。

過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する
政府が過去を改竄し続けているのは、党員が過去と現在を比べることを防ぐため、そして何よりも党の言うことが現実よりも正しいことを保証するため である。党員は党の主張や党の作った記録を信じなければならず、矛盾があった時は「犯罪中止」により誤謬を見抜かないようにし、万一誤謬に気づいても「二 重思考」で自分の記憶や精神の方を改変し、党の言うほうが正しいということを認識しなければならない。
古代の専制者は命じた。汝、するなかれと。全体主義者は命じた。汝、すべしと。我々は命じる、汝、かくなり、と
オブライエンの言によれば、かつての専制国家は人々に対しさまざまなことを禁止していた。近代のソ連やナチス・ドイツなどは人々に理想を押し付け ようとした。今日のオセアニアでは人々はニュースピークやダブルシンクを通じ認識が操作されるため、禁止や命令をされる前に、すでに党の理想どおり の考えを持ってしまっている。党の考えに反した者も、最終的には「自由意思」で屈服し、心から党を愛し、党に逆らったことを心から後悔しながら処 刑される。
2足す2は5である(2+2=5、Two plus two makes five)
この小説を象徴するフレーズの一つ。スミスは当初、党が精神や思考、個人の経験や客観的事実まで支配するということに嫌悪を感じて(「おしまいに は党が2足す2は5だと発表すれば、自分もそれを信じざるを得なくなるのだろう」)自分のノートに「自由とは、2足す2は4だと言える自由だ。それが認め られるなら、他のこともすべて認められる」と書く。後に愛情省でオブライエンに二重思考の必要性を説かれ拷問を受け、最終的にはスミスも犯罪中止と二重思 考を使い、「2足す2は5である、もしくは3にも、同時に4と5にもなりうる」ということを信じ込むことができるようになる。

ダブル スピーク

ダブルスピーク(doublespeak、 二重語法)は、矛盾した二つのことを同時に言い表す表現である。「戦争は平和」・「真理省」のように、例えば自由や平和を表す表の意味を持つ単語で暴力的 な裏の内容を表し、さらにそれを使う者が表の意味を自然に信じて自己洗脳してしまうような語法。他者とのコミュニケーションをとることを装いながら、実際 にはまったくコミュニケーションをとることを目的としない言葉。

実は作品には登場しない用語であるが、初版発刊後の1950年代に発生し一般化した言葉で、しばしば作品由来と考えられている。ニュースピークのB 群語彙の定義におおむね影響を受けている。また、現実にある政策や婉曲話法などを批判的に言及する際に「二重語法」という言葉を使うことがある。たとえば 事業の再構築を意味するリストラクチャリング(リストラ)を単に「従業員の大規模解雇」の意味に使用するなど。

Wikiより

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さて本題に戻ります。ソシュールは「言語は人間の思考の道具ではなく、言語そのものが思考だ」と言っています。母国語を深く理解し、その言語の影響を受けながらも人は深い思考、論理的思考が可能になります。私は英語に不自由しません。仕事で英語を使う時は英語ですべてを考えて話しますが時々英語の自分は日本語の自分に比べ思考能力や思考スピードがかなり落ちているなと実感することがあります。英語で仕事をいている時に重要な決断はできないなと日頃から感じています。

別の話を一つ。私の友人に神戸生まれでイギリス国籍のバイリンガルで同じ年の人がいます。日本語も英語も全く訛りなく話しますが、どうも深い思考になると二つの言語のうちどちらを使うかで葛藤があるようです。どちらを使うにせよその言語をかなり深く知っていなければ、複雑で精妙な考えが出来るということです。たとえばその言語で理科や数学を勉強し、九九を暗記し計算できる必要がある。three by four, twelveといければ初めて英語で深く考える事ができるのです。

また、日本語なら漢文、古文の知識は思考に深みをもたらすのと同様、英語圏の人ならラテン語などを学ぶ必要があると思います。一つの言語でそのような豊富な知識を学ぶだけでも大変なのに二つの言語でそれをやるとすれば、相当な覚悟、つまり一つの言語で勉強したことと全く同じ内容を別の言語で学びなおす覚悟が必要です。

私は、今だに日本語で記憶している電話番号を英語ですらすら言えませんし、英語で覚えているアメリカ人の友人の電話番号は日本語ではスーッと出てきません。

幼少期よりインターナショナルスクールに通わせ、バイリンガルと安易に考える親御さんは、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と母国語で学んだ過程を、同じ年月をかけてもうひとつの言語で学びなおさせる覚悟の無い限り、止めた方が賢明です。また、私はその時間を別の勉強にあてた方が良いと思います。英語は中学校から学び始め、大学や社会人の時に一生懸命やるだけで良いともいます。訛りのある英語になるでしょうが、外国語で一般教養を学びなおす時間を母国語でより深い勉強にあてる。その方がお子さんの思考能力や論理性はしっかり身につくはずです。

私の英語はかなり訛っていると思います。しかし、私は訛っている英語を話して一度も恥をかいた事はありません。仕事で困ったこともありません。相手がアメリカ人であれ、イギリス人であれ私の母国語は日本語と知っているのですから。我々が訛った日本語を話すアメリカ人を馬鹿にしないのと同じ理屈です。

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「Maroon 5」の歌詞。すべての音は発音されていない。

若者に絶大な人気のあるロックバンドMaroon5。私も大好きです。私は英語の練習もかねてよくカラオケボックスに行き英語の歌を歌うことにしています。英語の歌は、抑揚がついていて、言葉だけの時より発音しやすい。また、音符に言葉を割り当てているため、息継ぎなどをまねすると英語のリズムを体得するのに役立ちます。そして、一番勉強になるのが聞き取りです。最近の英語の歌は一つの音節にたくさんの言葉を詰め込むため、単語の音を全部発音出来ない場合が多く、それでもしっかり英語として通じるように歌われています。これはネィティブ同士が話す場合と似ています。

実例で見てみましょう。下記はMaroon5の中でも有名な歌、「Harder to Breath」です。

歌詞の赤い時の所は発音していないか、本来の発音と違う音になっています。You tube を視聴して確かめて下さい。
How dare you say that my behavior is unacceptable
So condescending unnecessarily critical
I have the tendency of getting very physical
So watch your step cause if I do you‘ll need a miracle

You drain me dry and make me wonder why I’m even here
This double vision I was seeing is finally clear
You want to stay but you know very well I want you gone
Not fit to funkin’ tread the ground I’m walking on

When it gets cold outside and you got nobody to love
You‘ll understand what I mean when I say
There’s no way we’re gonna give up
And like a little girl cries in the face of a monster that lives in her dreams
Is there anyone out there cause it’s getting harder and harder to breathe
Is there anyone out there cause it’s getting harder and harder to breathe

What you are doing is screwing things up inside my head
You should know better you never listened to a word I said
Clutching your pillow and writhing in a naked sweat
Hoping somebody someday will do you like I did

When it gets cold outside and you got nobody to love
You’ll understand what I mean when I say
There’s no way we’re gonna give up
And like a little girl cries in the face of a monster that lives in her dreams
Is there anyone out there cause it’s getting harder and harder to breathe
Is there anyone out there cause it’s getting harder and harder to breathe

Does it kill
Does it burn
Is it painful to learn
That it’s me that has all the control
Does it thrill
Does it sting
When you feel what I bring
And you wish that you had me to hold

When it gets cold outside and you got nobody to love
You’ll understand what I mean when I say
There’s no way we’re gonna give up
And like a little girl cries in the face of a monster that lives in her dreams
Is there anyone out there cause it’s getting harder and harder to breathe
Is there anyone out there cause it’s getting harder and harder to breathe

さて、このような事は実は日本語でも無意識に行われています。日本人どおしなら音を多少省略しても、話している文面から落ちた音を補完して聞いているのです。私はかなり早口な方ですが、日本人の方から話した言葉を聞き返される事はまずありません。実際にはかなり音を省略しているはずですが、聞いている相手の頭の中に、その音節がインプットされているため、その音節を思い出させる音があれば無意識に連想出来るからです。

歌で言えば、私も大好きな桑田佳祐さんの音楽。決して聞き取り安い歌い方ではないですが、日本人なら理解出来るのはこのような事情です。

英語を聞くときに一つ一つの単語に注意を向けてしまうと、聞こえなかった音に耳を奪われ、全体の理解を妨げてしまいます。むしろ複数の単語の組み合わせである、連語を一つの音節としてとらえたら早口な英語でもきっと聞き取れるはずです。
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聞いたままを発音してみる。

ソシュール理論では意味だけではなく、発音も言語間に関連性は全くないことを学んできました。中学生が英語を習い始めるときついやってしまう、カタカナ発音は100害あって一利なしです。私の友人の奥様は、中学時代に教材テープで発音しているとおりにそっくり真似て発音してみたそうです。20をトォエニィと発音してみたそうです。ネイティブの発音にかなり近いですね。しかし、中学生だった彼女は先生や周りの発音と自分の発音が違うので、日本流にトゥエンティと発音し直したそうです。実は、英語の勉強は聞いたままを発音する。これはとっても大切な事です。カタカナに置き換えないで発音してみる。出来れば自分の発音を録音して聞いて自分で発音を直す事が重要です。いま彼女はネイティブの人と聞いたままの音で発音しめきめき上達しています。

このほかにも、例えば組織の話をするときによく使う、ヒエラルキーということば、英語にすると「早起き」になります。朝早く起きるのではなく、ハヤオキーと発音するのです。こう言わないとアメリカ人には伝わりません。タクシーに乗っていて、「揚げ豆腐」と言ったらタクシーが止まります。おりるとき、「猫バック」といえばチップを取って25セントをおつりとして返してくれます。さあ、なんと言ったか考えてみて、いや考えてはダメです。感じてみて下さい。クイズです。

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東大に行くと英語がダメになる?

私の友人に東京大学を卒業したのに英語がさっぱりダメな人がいます。Aさんと呼びましょう。このAさんはいつも悔しがっています。自分は受験英語も含めて日本で指折なくらい英語を勉強しているけど、さっぱり英語が出来るようにならない。何度もトライしたが諦めた、そうです。私は、この時ハッと気がついた事があります。Aさんは東大に入るくらい受験英語を勉強していたはずである。その後も努力家の彼は英会話の勉強に精を出していたに違いない。しかし、受験英語は、日本語に意味を置き換える作業の連続で、もしかしたらこの受験勉強は英語習得に取ってマイナスではないか、と。ソシュール理論を考えれば考えるほどこの仮説は真実でしまも社会問題と言えるほど深刻な様な気がしてきました。そうこうしているうちにこの仮説が検証されるときが来ました。AさんとAさんの奥様が一緒にスカイプを使ったマンツーマンの英会話レッスンを始めたのです。そして、奥様の方がずっと上達が早い。奥様は、音楽をやっていたことも有り、ネイティブの発音をカタカナに置き換えないで、つまり日本語に置き換えないでそのまま記憶し、そのまま発音しているのです。これをみてAさんは、東大に入学することはもしかしたら英語学習にとってマイナスなのではないかと思い始めたのです。

彼は、いま受験英語をからだから抜くため、英語を聞いているとき日本語を思い浮かべられなくするために、他の事を考えるそうです。このような努力がAさんの英語力を上達させたなら、これは英語学習者にとって革命的な実験となります。Aさんは、ある程度英語が出来るようになったら英語学習に関する本を出すそうです。もともと英語が出来なかった東大卒のAさんの書いた本は売れること間違い無いと思います。

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言語で理解しようとしない。外国語習得の近道。

外国語学習過程において、習得スピードを遅らせるのは、学習初期の段階で意味や、音を母国語に置き換えるという行為です。学習上明らかに害になる行為です。しかし、実は外国語もその外国語の辞書(日本で言う国語辞典)で理解するのは、害にこそなりませんが、外国語の習得という意味では、ややスピード不足をい否めません。

一番良いのは、英語であれば英語圏に住み英語で日常生活、出来ればそこで仕事をすることです。これは、自ら現実として、いろいろなスチューエーションの中に身を置き、そのときに交わされる言葉一言一言がそれぞれのシーンに結びついて行く。これが、言語体験と言われるものです。赤ちゃんが母国語を覚えるときの状況です。

しかし、なかなか渡米のチャンスがないひとはどうすれば良いのでしょう。

答えは、バーチャルな英語環境に身を置く事です。具体的に言えば、自分の好きな映画を一本選び繰り返し見て、音声がなくてもストーリーが解るようになるまで見続けます。その後、英語字幕にして主演か脇役の誰かに自分を置き換え、その人の台詞を丸暗記します。この作業を1年実施すれば、TOEC850点は固いです。ついでに他の人の台詞もよみ聞き取れるようにする。最後には、選んだ人物の代りに自分が演者として感情を込め演じて見るのです。この課程で日本語訛りはかなり取れます。

映画一本を選んだら、浮気しないこと。2本を90%理解するより、一本を99%近く理解する方が効果は上がります。私の場合はフォレストガンプです。浮気はしていませんでした。

そこに出てこない言い回しは?と思う方は多いと思います。しかし、大丈夫そこで使われている言葉以外は使わなければ良いのです。それで十分日常会話は成立します。

映画を使い貴方もバーチャルに外国居住を体験してみてください。そして、意味とシチュエーションを結びつけ赤ちゃんの様に学んで下さい。

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日本語の母音は日本だけでしか通用しない

中学校に入って初めて英語を習った時、This is a pen. の発音を発音記号ではなく、日本語のカタカナに置き換えて「ジスイズアペン 」と覚えた方は多いと思います。実はここに、日本人英語の最大の問題が眠っています。

ソシュールの理論を勉強した皆さんは、「そうか、一つ一つの言葉はおのおの事物とセットになっている訳ではないので国によって一つ一つの言葉がカバーする領域が違うのだ」という事を理解していただいた事と思います。つまり、ある言語と別の言語は意味的に繋がっていない、別々のあたかも中に浮いている図書館の様であると。

実は、発音もそうなのです。日本語の「あいうえお」という母音、「かさたなはまやらわ」と言う子音は日本独特のもので日本語にしか当てはまらないのです。国際的に見て日本は母音が少ない方です。日本人が苦手とするRの音とLの音の区別ですが、日本語のラ行の音は英語のRの音ともLの音とも違います。日本語のラ行おとは英語のLの音に比較的似てはいますが、アメリカ人が聞くとハッキリ訛っているのが解ります。また、ラ行の発音は一種類しかないので、日本人はRの音を発音出来ない、またLの音とRの音を区別出来ないのです。これは、フランス人がHの音を発音できない、韓国人がBの音を発音出来ないのに似ています。

また、日本語は子音も少なめです。英語のthの発音は日本語にありません。これは練習するしかない。また、Vの音も日本語にないものです。

もう一つ日本人英語のなまりを挙げると、言葉の最後の子音が有声音になると言うことです。私は札幌出身ですが、札幌の繁華街と言えば「すすきの」です。このすすきの、本州の人が発音すると何か変な感じがしていましたが、最近やっと理由が分かりました。北海道の人はすすきのの2番目のすが無声音、つまり口ではスの音を出しますが声帯は震えていない。本州の人は2つめのすも有声音にしてしまうので北海道の人が聞くと違和感があるのです。

これと全く同じ事が日本語と英語の間にも起こります。日本語は、無声音の発音がほとんどありません。もしくは、有声音か無声音かに関して文法上の決まりがない。これはひらがなが四面で表記されていることを見ても明らかです。なので、日本人が例えばexpense を発音すると最後のsの音を有声音にしてしまうのです。これは、アメリカ人が聞けばかなり訛って聞こえます。

今日の結論、それは「言語間には、意味上の繋がりもなければ音の繋がりもない各々全く別の世界である」英語の発音をマスターするには、発音記号をしっかり覚えそれぞれの音を理解し、発音するための口の形を繰り返し練習することが大切です。

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言葉が先で、事物は言葉により定義される

前回の答えは「言葉が先」です。元々世界は混沌とシームレスもしくは、微分的に細かく原子核まで分けて考える事も可能です。オルダスハッスクレーの有名な著作に「知覚の扉」があります。彼がある種のドラックにより、宗教で言うところの悟りを開いた状態になったとき、5感の数が増えていき20感、50感、100感となっていきました。そしてドラックから覚めたときに気がついたのは、人間の5感は事物や情報を感じ取る為のものではなく、むしろ事物や情報を5感に閉じこめ、制限するためのもの、と言うことでした。

例えば海を美しく泳ぐオウムガイは触覚、嗅覚、味覚の3感です。オウムガイは人間の持つ視覚、聴覚を持ち合わせていません。3感に制約されて生きています。でも、彼らはたぶん自分の3感がすべてと思っていて、世の中に他の感覚があるとは想像もしていないと思います。人間の5感も同じことなのです。

地球全体を一個と見ることも、分子、原子レベルまで区分けすることも、「認識」という意味では、根本的に同じです。

しかし、どのような言語を使っている人間も、おおよそ2万語を操り、事物を区別しているようなので、人間の言葉による認識は、分子レベルより大きくと地球レベルより小さい中の中間地点のどこかと言うことになります。

本題に戻りますが、「事物を区分けしているのは、言葉であり言葉の数だけ区分け(=つまり認識できる事物)があるというのが、ソシュールさんの発見の真骨頂です。

北極圏のイヌイット族にはオオカミと犬を区分けする言葉がありません。言葉が同じなので、事物である犬とオオカミも同じものと考えられています。

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ソシュール理論による外国語学習法

英語が全く駄目だった筆者が言語学者であるソシュールにヒントを得て生み出した2年でTOEIC900点をめざせる全く新しいアプローチの外国語取得方法を紹介します。

髪林孝司プロフィール

髪林孝司

髪林孝司:
システム経営コンサルタント
職歴:
株式会社リクルート
(住宅情報事業部)
株式会社テレビ東京
(経理部、営業部、国際営業部、編成部、マーケティング部、イ ンターネット部などを歴任)

2001年
テレビ東京ブロードバンド企画設立
代表取締役社長就任
(主要株主;テレビ東 京、NTT東日本、シャープ、NECインターチャネル、集英社、角川ホールディングス、 小学館プロダクション、DoCoMoドットコム、ボーダフォン)

2005年
同社東証マザーズ上場

2006年
インターエフエム買収
代表取締役社長就任(兼任)
11年連続赤字累損22億の会 社を1年で4000万弱の黒字会社にターンアラウンド

2008年6月
テレビ東京ブロードバンド取締役退任

趣味:
ロードバイク
中華料理(家族の食事は私が作っています)
タブラ(インドの打楽器)