Q45.あなたは神(もしくは神の様な知的エネルギー体)や魂の存在を信じていますか?
2010-06-19 (土)
神や宇宙のエネルギーを感じ取ることの利点は次の3つです。
① 起こっていることはすべて正しい(ポジティブシンキング)
② 信仰が人間を善に近づける(コンプライアンス)
③ 仕事の意義(特にプロテスタント、勤勉、合理的、禁欲)
まず①です。ここでは、インドの昔話「アシュタバクラ」のお話をしましょう。
昔、インドにジャナカ王という王様がいました。そして、その家臣にアシュタバクラという者がおりました。王様から、「これについて、おまえはどう思う?」と聞かれると、アシュタバクラはいつも、「起こることは、すべて最高でございます」と答えました。王様は、そんなアシュタバクラをとても信頼し、いつもそばにおいていま
した。そして、他の家臣たちが、そのことに嫉妬して罠をしかけたのです。
ある日、王様が手に怪我をしました。いじわるな家臣たちが、アシュタバクラのところに行き、「王様が怪我をされたことを、どう思う?」と聞きました。アシュタバクラは答えました。「起こることは、すべて最高です」家臣たちは、このことを王様に告げ口しました。「王様!アシュタバクラは、王様の怪我のことも最高と言っております。」それを聞いて怒った王様は、アシュタバクラを牢屋に入れました。
そして、その日は狩りの日でした。王様は他の家臣を連れて狩りに出ました。王様は、一人で森の奥深くにまで入り、そこで“人食い部族”に捕まってしまいました。その部族は、儀式の時に人を生け贄としてささげ、火あぶりにするのです。ところが彼らは、火あぶりの直前になって、王様が手に怪我をしていることに気づきました。傷ものは生け贄にできないので、彼らは王様を放免しました。
無事に帰って来ることができた王様は、すぐにアシュタバクラを牢屋から出して、あやまりました。「おまえが言ったとおり、わしが手に怪我をしたのは、最高のできごとであった。しかし、そんな大事なことを教えてくれたおまえを、わし牢屋に入れてしまった。そのことを悔やんでいる。どうすれば、この過ちをつぐなえるだろうか?」
すると、アシュタバクラは言いました。「王様、私はいつも、起こることはすべて最高だと申し上げているじゃありませんか。もしも、私を牢屋に入れて下さらなかったら、私はいつも狩りでは王様の側から離れないので、いっしょに捕まっていたことでしょう。そして、怪我をしていない私は、生け贄になっていたことでしょう。だか
ら、牢屋に入れていただいて、最高だったのです。」
これを聞いて王様は悟りました。「そうか!人生で起きることは、本当にすべて最高なのだ。一見よくないことのように見えても、広く見れば最高なのだ。そして、そのことを信じていなければ、それに気づかないんだな。」船井幸雄さんも同様の事を言っておられます。船井さんの言葉に「人生で起きることはすべて、必要で必然でベストなこと。」が有ります。
私の実体験でもそれがいえます。私は会社を起業して7年目で社長を退任したのは、体調を崩したからです。上場を果たした時の目標は、「タイミング良く辞めて自分がオーナーの会社を興そう」と言うことでした(会社を所有するのが次の目標でした)。ところが、いろいろな事情を考えてしまい行動に移せずずるずると留任し続けました。そして実際辞めた時は、好むと好まざるとに係わらず体調不良で辞めなければならない状況になってからです。
しかし、このことが今まで働き詰めであった体を休めるチャンスとなりました。当時体重84キロ、血圧180、糖尿の気配、抑鬱感、神経性腸炎による慢性的下痢、とあのまま続けていたらどうなった事か・・。
今は体重65キロ、血圧は120、野菜中心の食事を自分で作り、腸は完璧でこのような場で恐縮ですがすばらしい便、抑鬱感も改善しつつあり、おまけとしてスタイルが良くなり、洋服が似合うようになりました。もうしばらく休んだら、今度は自分がオーナーの会社を作ろうと考えています。
体調を大きく崩すという一般的には「悪いこと」が自分にとっては良いことだったのです。また、この本も、もし今でも多忙な上場会社の社長業をしていたなら書けなかったでしょう。
起こっていることはすべて正しいと理解し始めると、多くの人は因果応報の法則が有ることに気がつき始めます。これが信仰を持つと言うことです。すべての出来事は自分の行った行動の結果であると感じる様になります。人から助けられるには、先ず自分が人助けをしなければならないと思うようになります。
私は、愛犬HANAと毎日夜に散歩を楽しんでいます。そのときに、他のワンちゃんの拾い忘れた糞が有ることがあり、私はそれも一緒に拾う事にしています。愛するHANAの健康、長寿を願いながら。
次に移ります。人間を善に近づける事は、会社のコンプライアンスに直結します。法律があるから、義務だからとコンプライアンスを考えるのと、心の底からコンプライアンスを信じ体現するのでは大違いです。世間を賑わせる大企業の不祥事は、経営陣が心からコンプライアンスと言うことに価値を見いだしてはおらず、「バレなければいい」と思ってしまう事より起こるのだと思います。
「仕事の意義」についてお話します。皆さんマックスウエバーをご存じですか、私は、大学卒業時に一夜漬けで学びました。そのときは内容を深く考えませんでしたが、今ではこの考え方は事実だと思っております。
ウエバーによると、オランダ、イギリス、アメリカなどカルヴィニズムの影響が強い国では合理主義や資本主義が発達したが、イタリア、スペインのようなカトリック国やルター主義の強いドイツでは資本主義化が立ち遅れた。こうした現象は偶然ではなく、資本主義の「精神」とカルヴィニズムの間に因果関係がある。ここでいう資本主義の「精神」とは、単なる拝金主義や利益の追求ではなく、合理的な経営・経済活動を支える精神あるいは行動様式(倫理感)です。
カルヴァンの予定説では、救済される人間は予め決定されており、人間の意志や努力、善行の有無などで変更することはできません。禁欲的労働に励むことによって社会に貢献し、あらかじめ約束されている救済を、ようやく確信するようになります。また、呪術は救済に関係がないので禁止され、合理的な精神を育てるようになりました。
このような職務遂行の精神や合理主義は、近代的・合理的な資本主義の「精神」に適合していて、禁欲的労働によって蓄えられた金は、禁欲であるから浪費されることもなく、再び営利追求のために使われることになったのです。
ウエバーの視点から「仕事の意義」を考えると、あらかじめ救済されている自分が本当に救済されていると確信するための努力と言い換えることが出来ます。日本人にはわかりにくい概念ですが、このことにより資本主義が発達、つまり信仰心が健全な資本主義を生んだのは事実と思います。
私は特に決まった宗教を信仰している訳では有りませんが、空を見て現在の自分の境遇に感謝する事がしばしば有ります。義務ではなく、本当に感謝しているからです。
第45章のまとめ
神や宇宙エネルギーなど人間より偉大なものの存在を信じる事により、健全で、社会に役に立ち、結果もうけも多い職業人になることが出来る。
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