最初は「うつ」に気づかない。

今から思っても、いつから「うつ」だったのかはっきりしません。そう、「うつ」の人は自分が「うつ」という病気であると気がつきません。病気と気がつかないから、自分を責めるのです。曰く「俺はこんなふぬけではなかった」とか「私は家事に関しては一切手を抜かなかった」などです。出来るはずの事ができなく、ただ無性に悲しいので自分に根性がないからだと根性論と結びつけ病状を悪化させる人も少なくありません。

一色さんの本やツレウツなどを読んでも最初病気とは気がつかなかったとのこと。私もそうでした。この気がつかない期間が長ければ長いほど回復に時間がかかるとのことです。癌などの体の病気と同じです。世間では、「うつ」は心の風邪などと言われていますが、一色さんは「うつ」はそんな生やさしいものではない。命に関わると言う意味では、また私の意見ですが早期発見が大切なことも含めると「心の癌」と言うべきだと書いてあり私もそう思います。

私は最初に変だなと思ったのは楽しいはずのサーフィンに行っても楽しくない日がたまににあった事です。そのときは病気とは思いません。その後徐々に悪化し、3年ほど前の1月4日、ある事件が起こり一気に悪化しました。この時は、妻と二人で郷里の札幌に行き、パウダースノーで有名なニセコに宿泊していました。私だけ日帰りで当時の勤務先の新年祝賀会に出席して日帰りで又ニセコに戻りました。トリガーは4時間ほど会社にいる間に起こりました。トリガーの内容は詳しくお話しても意味はありませんので省きますが、喪失感を伴ったものでした。そのときはしばらく寝ていれば良いと思い、とんぼ返りでニセコに戻りました。ところが得意なはずのスキーが全く出来ません。足に力が入らないのです。この時妻には温泉にあたったみたいだとごまかしておきました。

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当時はこのトリガーが原因のすべてと考えていましたが、今は「うつ」になる下地が既に出来ていて、トリガーはきっかけに過ぎなかったと思います。つまり、トリガーがなくともいずれ「うつ」になっていたということです。

ある日、「うつ」体験を持つ女性社員から一通のメールが来ました。そこにはこう書いてありました。「早く行こう、精神科」そして彼女が通う浅草橋の精神科クリニックの電話番号と初診のときは電話してからなどの説明がありました。余談ですが、彼女も同じクリニックに通っていたため、一度鉢合わせをしてそのときは話が弾みました。

その後彼女を会長に私が庶務課長で会社に「うつ」の会を作りました。非公式でしたが・・・。

もし、彼女からのメールが無かったらと思うと寒気を感じます。彼女には非常に感謝しています。

そう、「うつ」の人は自分が「うつ」という病気なのだと気がつかないのです。誰かがぽんと背中を押してあげる必要があります。病院に家族が同行するのもいいでしょう。一色さんの本には奥様に無理矢理連れていかれた事がおもしろおかしく綴られています。

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Q1.社員は仕事を楽しんでいますか?

成功している社長や管理職の下で働く社員は必ず仕事を楽しんでいます。楽しみながらも仕事に熱中しているはずです。それは、あたかも仕事という名の冒険のようでいつも胸がワクワクしています。

貴方が社長だとして、成功しているリーダーは特別な人で、カリスマ性があり、自分には真似できないとお考えの方は多いと思います。また成功しているリーダーには人徳があり、人格というものはすぐには磨けないとお悩みの方も多いと思います。

実は、仕事を楽しんでいる社員が頂くリーダーは決してカリスマ性があるとは限りません。また人物が高潔であるともかぎりません。私は大学在籍中にリクルートという会社で働いていましたが、ここの社員は大いに仕事を楽しんでいました。しかし、当時の社長で創業者の江副さんは、決してカリスマ的ではなく、むしろ口下手な印象でした。また人格もあの事件を起こしてしまったように、どちらかといえば高潔というよりは野心家という印象でした。

では、何故リクルートの社員は仕事を楽しむことができるのでしょうか?しかもあのような好業績(2009年初頭直近の公表数字で売上5000億に対し、利益1300億、利益率26%)を上げることができるのでしょうか?

それは江副さんが人格やカリスマ性よりももっと大切な経営者としての仕事をしていたからです。それは、会社の中にやり甲斐や面白さが生まれ出るシステムを作り込んだのです。そのことは、京セラ創業者の稲盛さん、ソフトバンクの孫さん、海外ではグーグルのシュミットCEO、名前は知りませんが、3Mの創業者なども同じように行っていたはずです。江副さんは「口下手だからこそ、あのようなシステムを会社に作り込むことが必要だった」と言っています。

このようなシステムが社内に浸透し初める、働く社員の顔つきが変わってきます。

私は、会社業績アップも大切と思いますが、このシステムを使う経験の中で一番価値あるものは、社員1人1人のビジネスマンとしてのスキルアップ、社会人としてのレベルアップ、そして人間としての魅力アップにあると思います。何故なら、システムをコンパスに自分で考え、自分で行動し、結果を自分の責任として受け止める経験が出来るからです。

第1章のまとめ

「仕事を楽しませるシステムを持っている会社の従業員は仕事を楽しむ。楽しんで仕事をしている従業員を持つ会社は必ず繁栄する。またその従業員は人間として成長していく」

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犬がダイエットに真剣

KICX0212最近、Hanaはダイエット中です。豆柴なのに、8.8kgまで体重が増えてしまいました。お医者様に、太りすぎといわれダイエットを始めました。振り返るとかわいい顔の下に二重あご。それをみた家内が、Hanaに「デブ」と言っていて、どうもこの「デブ」という言葉の意味を理解しているようです。「デブ」言われると心なしか落ち込み、シュンとしてしまうのです。

前は、義理の母がご飯の量を調整していました。そうでないといくらでも食べたがるからです。ところが最近、食が細くなってきたのです。出したご飯を全部食べずに残すようになってきた。また、人間の食事中にダイニングルームに顔を出さなくなりました。

今、毎日体重を量っていますが、体重が減っていると妻が喜ぶせいか、本人も毎日体重計に乗るのをいやがらなくなりました。たぶん「体重計」という言葉も理解しているようです。その言葉を聞くと、体重計のある部屋バスルームに自分から出向くようになりました。

何か中学生の女の子のようですね。

それではまた。

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経営者のうつ

自殺者3万人の時代、「うつ」は10年連続で原因の第一位です。自殺まで追い込まれるのは、リストラにあった従業員より、経営に行き詰まった中小企業の経営者に多いことは新聞などを見ても感じ取れます。そういう私も会社上場後に社長でありながら「うつ」と診断されました。しかし今、私は近い将来に、完治すると確信を深めています。

精神科医によるうつの本をずいぶん読みました。医学的な知識は治療の方針などを理解するのに大変役に立ちました。しかし病気の説明だけでは共感を感じにくいもの事実です。実際にうつになり、うつのつらさを経験した人が書いた本は、感情的に共感でき、私の心を軽くしてくれました。特に私が救われたと思えた本は2冊。一つめは脚本家の一色伸幸さんの書いた「うつから帰ってきました」です。これは家族の方に読んでいただいてもすばらしい本です。そしてさすが一色さん、読んでいて面白い。もう一つは今話題の「ツレうつ」です。

実際にうつを患った人が書いた自叙伝的なものは、いまうつに苦しむ人にとって一筋の光となると思います。少なくとも私はそうでした。私は、上場経営者でありながらうつを経験した人です。自殺に至るケースが少なくない経営者のうつに対して、私の経験を申し上げる事により、少しでもお役に立てることが出来れば、幸いです。週一回の更新です。

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システム経営とは、従業員が自由を感じるインフラの事。

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今自分のしている仕事を楽しいと感じる人の割合 はどのくらいでしょう。2008年の調査で「率直に今の仕事は楽しいですか?」と言う質問に対し、10年以上働いている人では、「楽しい」と答えた人は、 12.2%に過ぎませんでした。逆に「仕事にマンネリ感を感じたことがあるか」という質問では、7割以上の人があると答えています。(サンプル364,I シェアブログJP調べ)

私のサラリーマン時代は仕事を楽しいと思えた時期と面白くないと思った時期があります。思い返すと「楽しい」と感じた会社は、仕事上の目標がシステ ム化されていて、システムの範囲内で権限と責任あり、従って創意工夫の余地がある。また仕事の結果は、システムによって自分だけではなく、周囲にも分かる 場合でした。「楽しくない」と感じた会社は目標がシステム化されておらず、その都度上司にお伺いをたて、権限もなく責任もないと感じ、また自分の働きぶり が自分にも周囲にもわかりにくい場合でした。

よく仕事上大切なこととして、「ホウレンソウ」すなわち、報告、連絡、相談を挙げる会社があります。一見情報共有をしている良い会社と思われがちで す。しかし実はこのような会社の多くはマネジメントシステムの無いので、それを人間関係がカバーしているだけ。行政指導みたいで属人的で曖昧です。このよ うな場合、権限も曖昧で従って責任も曖昧です。

私の先輩たちの世代、特に高度成長期を経験した世代はそれでも良かった。それは責任と権限が曖昧でも、自分の働きと、会社全体やひいては国全体の成長が繋がっているという実感を持てた。つまり自分の努力が、日本の経済成長や所属している社会の発展と言う形で実感できた。

日本は同じ仕掛けを維持して来たにもかかわらず、1990年代から低迷の時代を迎えます。不動産バブル崩壊が低迷の原因のように思われていますが、 私はたまたま時代の境目にバブル崩壊が重なっただけと考えています。ではその根本原因とは何でしょう。それは第三次産業革命とも言える、情報社会の到来だ と思います。世界経済、特に先進国の役割が製造業から情報業に変化して行かなければならない中、日本は製造業に重きを置いた社会体制を変えず、また企業も ホウレンソウのマネジメントスタイルを変えてきませんでした。(野口悠紀夫さん「40年代体制―さらば戦時経済」を読むと、この体制は実は1940年代に 作られた戦時経済が元になったそうです。)自分の働きと社会の成長の連動性が実感出来ない時代には、そこを埋める仕掛けが必要です。私はそれをシステム経営と呼んでいます。現代、経営システムを持っていない会社で働いている多くの人は、仕事を楽しいと感じる事が出来ないのがいろいろな会社を拝見してきた私の結論です。

ポスト工業時代に、経営者の仕事、それは「従業員が仕事に対して、やり甲斐や面白さを感じる事ができる環境を作ること」の一点に集約されると思います。それには、会社に システムを作り込むこと。従業員が権限と責任を実感し、大いにやり甲斐を感じながら仕事に没頭出来る「仕掛け」を社内に作り込むことです。

そのような取り組みは社員ひとり一人のスキルと精神、両面の成長に直結し、会社の創造性を高めます。大きな付加価値を作り出す組織をつく ります。このことを「ビジョナリーカンパニー」の著者Jコリンズは、「時を告げる人、時計を作る人」という寓話で説明しています。世界中の経営者に支持されている彼の著作に、システム経営の神髄が余すところ無く書いてあります。

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我が家のHANAは言葉が解る?

我が家のHana

写真は私の愛犬Hanaです。

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ちょっとソフトバンクのお父さんに似ていますが、耳が茶色の所が違います。Hanaは女の子で今4歳です。人間で言うと、20代後半でしょうか?

私は、言語学者ソシュールの信奉者ですが、Hanaを見ていると、言葉を理解している
と認めざるを得ないことがしばしばあります。どの程度、言葉を理解しているのか、
自分の事を人間だと思っているふしがあるのですが、本当にそうなのか。人対人のコミュニケーションの研究にHanaは役立ちそうです。

Hana日記では、つれづれなるままパソコンに向かい、Hanaの日常を通じて、言語学を考察してみたいと思います。週一回の更新です。犬好きな方、どうぞご期待下さい。

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モチベーションデザインコンサルタント髪林孝司プロフィールenglish

Summary

I am the Founder and was the first CEO of a company listed on the mothers section of the Tokyo Stock Market. I Specialize in IT, Marketing and Media, Finance and Valuation, Mergers and Acquisitions and Turnaround.

My career began when I accepted my first job at Japan’s premier and most profitable publishing company known as “Recruit” Corporation. Working with Recruit allowed me to see inside a solidly professional company with a strong identity and corporate culture. It was one of the best experiences in my entire life. This experience allowed me to see how a company that dominates the market lives and breathes and creates a corporate cult and identity reminiscent of corporations like 3M. Many years’ later, companies like Apple Computers and Google would come along and build such a corporate cult identity, but Recruit in Japan was most definitely one of the first.

After getting my feet wet at Recruit, I was offered a bigger challenge at a terrestrial (free) TV network  “TV Tokyo.”

My first assignment at TV Tokyo was in the Accounting and Finance department. The lessons that I learned there helped me immensely later on as I was continually promoted, eventually to the position of Chief Executive Officer.

After time spent at the Accounting and Finance department, I was promoted and moved up to the Programming and Sales Division. After a successful few years in Programming and Sales Division, I was promoted to head of the entire Marketing Division.

The experience in Marketing Department was also invaluable to my core skills and understanding. Soon, after that, I became the head of the entire Internet Section. Within one year, I had raised $5 Million (USD) from several financial backers such as; NIKKEI (much like the Wall Street Journal in U.S.); NTT (like ATT in the USA); NEC, an electric manufacturing giant the world over; and Sharp Corporation, as our initial share holders along with TV Tokyo. Soon, many major Japanese publications, and owners of so-called Japanese Anime like Shueisha, Kadokawa, and Sho-Gakkan joined. Soon again, NTT Docomo and Voda-Phone (Major wireless carriers in Japan) also became shareholders in the company I created. Within four years, we were so successful especially in mobile phone application business that we were able to IPO this company on the mothers Section of the Tokyo Stock Exchange.

During this period of rapid growth and success, I was able to study and learn from great teachers and books. Some of the books that inspired me were by great thinkers such as, Michael E Porter; Peter F. Drucker; Philip Kotler; as well as James Collins’ seminal works, “Built to Last,” and, “Good to Great” (my personal Bible); also included are Michael E Gerber’s, “The E-Myth”; Tom Copeland’s, “Valuation” (this book is invaluable); as well as books by John P. Kotter and Barbara Minto.

Specialties include;
Marketing, IT, mobile phone application
Free TV network,Publicity,Direct Marketing,Regal and Financial; Intellectual property, Mergers and Acquisitions, Corporate Split-Up, Accounting,

Human Resources, Empowerment, setting a Mission Statement.

Experience
President & CEO
■TV Tokyo Broadband Inc.
Internet & mobile phone industry

March 2001 – March 2009 President & CEO

■FM Interwave  InterFM

Radio station

August 2004 – January 2008

As the CEO of TV Tokyo Broadband Inc., I acquired a Tokyo FM radio station in March 2006. With the help of the fantastic team we built, we turned it around in one year. This station had been a perennial loser to the tune of more than $2 Million (USD) a year for 11 years. Immediately, to reduce costs, we introduced a computer production system that cut production costs by more than 40%. With the help of solid marketing research, we changed the target audience of the station from old men (50 to 60-year-old) to young people (20 to 35-year-old). Also, we created a total marketing package plan and executed it with the fine staff I had assembled. The result was extremely successful with the station showing a profit for the first time in its history of a $400 thousand (USD) surplus for the initial 12-month period.

■ Sesame Street Partners Japan (LLP)
Media Production industry

July 2003 – October 2005 (2 years 4 months)

I was honored to play the main roll in acquiring the all rights for Sesame Street in Japan, including broadcast (including territorial free TV network, Satellite and cable), all merchandising, advertising, wireless, Internet, and so on. NHK (Japan’s version of the BBC) had broadcast Sesame Street for over 30 years, while SONY had held merchandising rights over 15 years. It wasn’t an easy road taking control of Sesame Street from these two entities. After dozens of meetings back in forth between the USA and Japan, finally, we were able to outmaneuver the competition and acquire Sesame Street. From this experience and this process, I learned a great deal not only about International business, but about intellectual rights, contents, copyright and all legalities related to this most fascinating business.

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万年英語赤点男、2年間でTOEIC900点

私は高校時代、英語を苦手としておりました。英語の先生は、私の成績のひどさを知っていて、席順に質問をしていくとき、私の席の前の人から私のうしろの人へと質問し、いつも私はとばされていました。「どうせ髪林には答えられない」というのが理由だった様です。通信簿は10段階評価で万年2、つまり一貫して赤点男でした。

今私は、英語に全く不自由しません。今から4年ほど前に1年で13回ニューヨークに出張しました。セサミストリートの版権元のセサミワークショップと交渉するためです。私は、通訳を介さずに日本におけるテレビ放送権、出版権、マーチャンダイジング件、などオールライツ取得をミニマムギャランティーの交渉とセットで行い、弁護士なしでMOU(Memorandum of understanding=契約書の前段階の覚え書き)締結までこぎ着けました。セサミと人たちは、ほとんどがユダヤ人でその交渉はまるで英語での戦争でした。

私は、高校卒業後留学したわけではありません。独学で英語をマスターしてしまったのです。ソシュールという言語学者との出逢いが、私に外国語学習のヒントをくれました。ソシュールの論理が正しいのであれば、こうすれば英語は出来るように成るに違いないと思い、実際1日20分テープを毎日聞くだけで、2年後、字幕なしで映画を観て(聞いて)いる自分がいました。

このブログでは、ソシュールの基本的な考え方を皆様にお伝えし、それをどのように英語学習に応用するのかを説明していきます。

中、高、大の英語の蓄積が全くなく、まるで第二外国語を学ぶような気持ちで取り組んだ私より、皆様の方がスタートダッシュは早いと思います。

必要な事は、①ソシュールの理論を完全に理解する

②理解した上で、毎日英語を音で聞く

この二つです。それでは、来週から週一回のレッスンにおつきあい下さい

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ソシュール理論による外国語学習法

英語が全く駄目だった筆者が言語学者であるソシュールにヒントを得て生み出した2年でTOEIC900点をめざせる全く新しいアプローチの外国語取得方法を紹介します。

髪林孝司プロフィール

髪林孝司

髪林孝司:
システム経営コンサルタント
職歴:
株式会社リクルート
(住宅情報事業部)
株式会社テレビ東京
(経理部、営業部、国際営業部、編成部、マーケティング部、イ ンターネット部などを歴任)

2001年
テレビ東京ブロードバンド企画設立
代表取締役社長就任
(主要株主;テレビ東 京、NTT東日本、シャープ、NECインターチャネル、集英社、角川ホールディングス、 小学館プロダクション、DoCoMoドットコム、ボーダフォン)

2005年
同社東証マザーズ上場

2006年
インターエフエム買収
代表取締役社長就任(兼任)
11年連続赤字累損22億の会 社を1年で4000万弱の黒字会社にターンアラウンド

2008年6月
テレビ東京ブロードバンド取締役退任

趣味:
ロードバイク
中華料理(家族の食事は私が作っています)
タブラ(インドの打楽器)