キャラメルは味わって・・・。
2020-03-19 (木)
父はよく、若くしてくも膜下出血に倒れて、最後は寝たきりになって死んだ母の人生を、残念な人生だと言っていた。
結婚前、父は北海道では大手の木材会社で、帳場(伐採現場の会計係)として働いていた。今でいえば大手に努める安定したサラリーマンだ。母は、電話局の交換手をしていて、見合い結婚だった。サラリーマンと結婚したつもりの母であったが、外材輸入の時代になり、父は脱サラを余儀なくされて予定が狂った。父は母の義兄にお金を借りて、食堂を始めた。食堂は、ふつう夫婦でともに働く。専業主婦にはなれずに、図らずして女将さんになってしまった。近隣に大学、電電公社の研修施設、郵政省の寮などがあり、お店には学生さんが良く来てくれたようだ。母は明るい性格で、素人が始めた食堂であったが、味ではなく人柄に客が付いた。何年か経って、はす向かいに2フロアの店舗を借りて、昼は一階で食堂、夜は二階で居酒屋を始めた。当時居酒屋というコンセプトはなく、かなり成功して地域では最も繁盛した店になった。
母は、妻として、母として、そしてなにより女将として一人三役をこなし、早朝から深夜まで働き詰めの毎日であった。母の毎日は、朝は息子である私の弁当を作り、その後店の仕込みを行い、ランチ営業、よるは居酒屋営業で店がおわるのは23:30、それから帰宅して、25時ころ床に就く毎日であった。休みといえば、第一第三日曜と月に2日しかなく、その休日も会計帳簿とにらめっこしている母、おまけにPTAの会長も務める母を私は子供心に、すごいと感じていた。母がもし専業主婦として、暇な毎日を暮らしていたなら、私はここまで尊敬はできなかったであろう。
母は倒れるころには、居酒屋の女将という仕事がらか、酒量が増えた。アル中であったようだ。クモ膜下の誘因であった。それを見ていたせいか、私はアルコール依存症が怖く、最近はもっぱらノンアルコールビールである。睡眠障害もあるので、コーヒーはカフェインレスを飲んでいる。酔うためにビールを飲み、しゃきっとする為にコーヒーを飲むのに、肝心のアルコールやカフェインがないものを飲むのは意味がないと、酒好き、たばこ好きの会計士の友人によく言われる。しかし、飲む行為自体が楽しいのであって、結果として酔ったり、しゃきっとしたりは結果論であるので、飲むプロセスを楽しめれば十分だと思う。これは、私の趣味のフライフィッシングのキャッチアンドリリースに似ている。魚を捕るのが釣りであるが、釣り上げた魚を逃がすということは、獲物を捕るという目的よりもそのプロセスが楽しいということだ。
話を元に戻すと、父は、母が晩年ゆっくりと遊びながら暮らしてほしいと思っていたらしく、身を粉にして働いて、体を壊し、せっかくの晩年を寝たきりで過ごし、60代前半で死んだ母の人生を、残念な人生であった繰り返し言っていて、私もそう思っていた。
しかし、ノンアルコールビールやディカフェ、キャッチアンドリリースで満足できることを知り、最近考えが変わった。同じことを人生に当てはめると、人生は、晩年に果実を得ることに意義があるのではなく、果実を得るためにプロセスに真摯に取り組むことにこそ意義と喜びがあると思うようになった。晩年に、果実を得られるかどうかは、いわばオマケであって、人生の真骨頂ではない。
母は、晩年少し残念であったかもしれない。しかし、それはキャラメルのオマケをもらえなかったというだけで、キャラメルしっかりもらえていた。そしてそれは、とっても美味なキャラメルであったと私は知っている。
世間では、オマケで釣ってキャラメルを買わせる輩もいる。無意味な遠い将来の不安をあおり、死後に思いをはせさせ、目前の幸不幸に麻酔をかけるような、エセ宗教には注意しなければならない。