最初は「うつ」に気づかない。
2009-06-30 (火)
今から思っても、いつから「うつ」だったのかはっきりしません。そう、「うつ」の人は自分が「うつ」という病気であると気がつきません。病気と気がつかないから、自分を責めるのです。曰く「俺はこんなふぬけではなかった」とか「私は家事に関しては一切手を抜かなかった」などです。出来るはずの事ができなく、ただ無性に悲しいので自分に根性がないからだと根性論と結びつけ病状を悪化させる人も少なくありません。
一色さんの本やツレウツなどを読んでも最初病気とは気がつかなかったとのこと。私もそうでした。この気がつかない期間が長ければ長いほど回復に時間がかかるとのことです。癌などの体の病気と同じです。世間では、「うつ」は心の風邪などと言われていますが、一色さんは「うつ」はそんな生やさしいものではない。命に関わると言う意味では、また私の意見ですが早期発見が大切なことも含めると「心の癌」と言うべきだと書いてあり私もそう思います。
私は最初に変だなと思ったのは楽しいはずのサーフィンに行っても楽しくない日がたまににあった事です。そのときは病気とは思いません。その後徐々に悪化し、3年ほど前の1月4日、ある事件が起こり一気に悪化しました。この時は、妻と二人で郷里の札幌に行き、パウダースノーで有名なニセコに宿泊していました。私だけ日帰りで当時の勤務先の新年祝賀会に出席して日帰りで又ニセコに戻りました。トリガーは4時間ほど会社にいる間に起こりました。トリガーの内容は詳しくお話しても意味はありませんので省きますが、喪失感を伴ったものでした。そのときはしばらく寝ていれば良いと思い、とんぼ返りでニセコに戻りました。ところが得意なはずのスキーが全く出来ません。足に力が入らないのです。この時妻には温泉にあたったみたいだとごまかしておきました。
当時はこのトリガーが原因のすべてと考えていましたが、今は「うつ」になる下地が既に出来ていて、トリガーはきっかけに過ぎなかったと思います。つまり、トリガーがなくともいずれ「うつ」になっていたということです。
ある日、「うつ」体験を持つ女性社員から一通のメールが来ました。そこにはこう書いてありました。「早く行こう、精神科」そして彼女が通う浅草橋の精神科クリニックの電話番号と初診のときは電話してからなどの説明がありました。余談ですが、彼女も同じクリニックに通っていたため、一度鉢合わせをしてそのときは話が弾みました。
その後彼女を会長に私が庶務課長で会社に「うつ」の会を作りました。非公式でしたが・・・。
もし、彼女からのメールが無かったらと思うと寒気を感じます。彼女には非常に感謝しています。
そう、「うつ」の人は自分が「うつ」という病気なのだと気がつかないのです。誰かがぽんと背中を押してあげる必要があります。病院に家族が同行するのもいいでしょう。一色さんの本には奥様に無理矢理連れていかれた事がおもしろおかしく綴られています。