類語辞典
2018.09.10
文章を書くのが好きで、ブログに雑文を書いている。少しでもましなのを書きたいと思い、パソコンに向かって文書を書き始めたら、類語辞典も開く事にしている。ある意味をふさわしいニュアンスで伝えるのには、どの言葉を使うのが良いか分かる。ただたまに、どうしてぴったりすることばが見つからないことがある。
筆者は北海道で育った。比較的標準語に近いのが北海道弁と思っていたのだが、今年の流行語大賞、カーリング女子の「そだねー」が、方言であったとはテレビの生中継の時には気が付かなかった。北海道弁に「あずましい」という表現がある。標準語で言えば、「心地よい」とか「快適である」の意だが、少しニュアンスが違う。類語辞典で標準語に近い表現があるかを調べて見たが、どうもそれに近い表現が見つからない。標準語には「あずましい」にあたる表現が無いと分かった。実は英語には同じニュアンスの言葉がある。Confortable がどんぴしゃり。
言語学者のソシュールは「ある言葉の意味は、隣り合った言葉との境界線で言葉同士で自律的に定義されている」と講義している。Confortableと同義の日本語が無い様に、ある国の言語体系の中に、ある区分けが欠落していると思われる場合、その部分は、隣接の言葉に吸収されてしまうのが、言葉の宿命なようだ。
英語にfigure outという表現がある。英和辞典を引くと、「理解する」とあるが、ニュアンスは少し違う。figureとは数字を理解するというのが元の意味で、outを付けることにより、算術的に根本から合点する、というニュアンスである。日本語には似た表現が無い。英和辞典では「理解する」とか、「解る」という言葉にこの部分が吸収されてしまっている。
カナダのイヌイットには、「狼」という言葉が無い。彼らは、隣接の「犬」という言葉にこの意味が吸収されている。重要なのは、エスキモーの人達の認識の中に、狼というものが存在していないという事だ。彼らに取って、犬と狼は同じ存在で、これは日本人などが思い描く狼とは違う。この事を考えると、標準的な日本人にとって、comfortableという感覚は存在せず、figure outという感覚も存在せず、例えば、アルキメデスが「ユリーカ!」と叫んだ時のニュアンスは日本人には理解しがたい、という事を受け止めなければならない。